ネパール大地震お仕事再生資金、その3 :Bungamatiへ(ブンガマティの状況)
帽子工場のスタッフの住む村
Bungamati ブンガマティへ行ってきました。
ここはパタン(ラリトプール内)であり、カトマンズ近郊で被害の大きかった集落でもあります。
観光地であるパタンの王宮から8キロくらいの地点になるかな?
地図でいうとココです(グーグルマップ)
帽子工場のオーナーはネワール族で、工場の周りの村もネワール集落がおおく今回の地震でで112家族の従業員の家が倒壊、半壊、と住めない状況にあります。
震災後3ヶ月は建築基準の見直し期間でもあり、新たに建物をたてるのを禁止されていたそうです。
とは言っても、、、観光で潤っている都市部は復興が優先される場所もあり、
小さな集落はまだ手付かず、
集落に入る道もせまく、重機をいれるのが難しい。人力で瓦礫撤去中です。
ここは木工の盛んな集落で、窓枠や、お土産物のマスク等の職人さんが多いそうです。
お預かりした義援金は100%支援に使います。
帽子工場の社長も私も通常業務をこなしながら動いていて、工場の休日しか仕事場を離れることができません。
なかなかご報告できず申し訳けないのですが、仕事をしないと支援できない状況なのでご了承くださいね。
私が滞在予定の2週間のうちに4日間もストがあり、行きたいと思っていた場所にもなかなか移動しにくい状況です。
この家は工場で働く女性のお家です
鉄骨が入っているように見えるかも知れませんが、ネワール族の伝統的な家の建築方法でできています。
木とレンガと土です。
最上階の屋根は落ち、2階連結部分は歪み住むことができません。
つっかえ棒で支えて倒壊しないようにを保っている状況。
壁にも大きなキレツが走っていて心配
比較的壊れていない棟の2階にロミさんの部屋があります。
余震も少なくなってきたので、日中は2階の生活空間を利用しているそうです。
地震がきたら急いで外に飛び出る準備はしていて、常に窓とドアは解放
夜に余震があると逃げられないので、
建物の前に仮設住宅を建て夜はビニールシートと竹やトタン屋根で出来た家で寝ています。
さすがに職人が多いから?仮設テントですが工夫して作られています
この集落には有名なお寺(ラト・マッチェンドラナート)がありましたが、地震で全壊してしまったそうです
参道の入り口の様子
門の中には女性たちが集まっていました。
震災後は余震を恐れ、日中は皆さん小さなコミュニティーを作り過ごしている方が多いそうです。
一人で家の中にいられなくなったという女性もいます。
写真の白い寺院が建っていたそうです。
このラト・マッチェンドラナートに収められていた神様は12年に一度山車に乗せられて巡業するそうですが、
今年は12年に1度の年にあたり、寺を出て巡業中に被災し山車が傾いてしまったそうで
現在もその場所の脇のテント内に収められている。山車は止まった場所に置かれています。
トラブルが起こった年には大きな惨事があって、
今までの伝統どおり作られていなかったから傾いてしまったとか、だから地震がきたとか、
いろいろ言われてる。とにかく動かしてはいけないそうで、止まった場所で解体されて再度山車を作り直している最中。
現在道路のど真ん中に止まったままです。
震災から4ヶ月。まだまだ復興前という印象を受けました。
山岳部の被害はもちろんのこと、都市でも場所よって建物被害もあり
内側への支援はなく、大きな支援が入っている村と無い村との差が激しく、
人によっては支援によって今までより良い暮らしをしていて、
お米も1家族10キロ支援なのに別々の家族だと申告し支援品をもらう人もいるそうで、
ネパール人のなかでも心のモヤモヤが増幅しているような。。。。
倒壊した家の被災者には震災後に15000ルピー支給され、その後は無いそうで貧しい集落は厳しいとききます。
まだ雨季なので10月下旬の乾季になったら修理や家の再建を始める予定の方もいて、
今後は違う問題も起こってきそうです。
5月下旬のブンガマティーの様子
旅するフォトグラファーの有賀さんのブログにスタッフのお家が映し出されていました。
この時期からする瓦礫はすこしだけ片付いているのかもしれない
その4へ続く、、、、
その1。その2。その3。は前後のページをみてね