ネパール大地震お仕事再生資金、その4 : ネパールのシヴァくんにテントを届けたの巻

2015年8月28日撮影(カトマンズ:ナヤバザール)
ネパール大地震から4ヶ月。
やっとリクエストのあったテントを届けることができました。

シヴァくん家族は雨季にヒビの入ったアパートに戻っています。
アパートの1階の壁に横に亀裂が走っているのですが即倒壊の危険性はないからという事で住民は部屋に戻ったそうだ。

政府の人が大丈夫だから入って良いと言われたそうだけど、結構亀裂があるので地震の時は外に逃げるらしい。

ヒビ
まだ余震も続いており次に大きな地震がきて建物が危険だと思ったら即テント暮らしをすると言っている。
1ヶ月半前まで暮らしていた場所。ナヤバザールにある広場。
旅行者の多いタメル地区から徒歩で15-20分くらいの場所です。
テントを張る

僕たちここに避難していたの〜
この間までこの場所に後ろに写っているような竹とビニールシートで作った仮設テント暮らしをしていたそうだ。

今はこの場所で寝泊まりしている人はいません。
雨季にはいって村にもどったり、友人や親戚の家にいったり、ここにいた人たちは屋根のある場所を得たようです

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今は笑ってるけど、蚊と雨との戦いだったらしい
次はテントがあるぞ!!』と持ってきたのはいいのですが、私も建てたことがない。
非常事態に取説なんて読む余裕はないので、一度同じ場所で組みた立ててみることにしました。
テントを張る
平らな場所ではないので凸凹してますがグランドシートを広げて大きさをチェック
次に使うことになっても同じ場所なのでしょうがない
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取説みながら三人で組み立てていると近所の人屋上からみていたり、やってきたり、
あーだーこーだ言いながら組み立てる。 シヴァくん夫婦もうれしそう。
壁のないテント暮らしは相当きびしかったらしく、何より蚊がおおく虫よけクリームを塗って子供を蚊から守ったそうだ。
中に入って使い方もチェック!
テントを張る
子供のような笑顔のシヴァくん。(ポーズをとってくれたのはいいが、ワキが破れてる(笑)
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おおーーーーーっ、広い広い!これなら親戚も一緒に入れる。
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設営中も蚊が大量に襲ってきたので即撤去。
間違えそうなところは写真をとって覚えてもらった。
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『オッサンになって急に太ったから、あなたは大変そうにみえない!』というと笑っているシヴァくん。
今はテントと同じくらいの大きさのアパートの1部屋に家族四人で暮らしている。
午前中は語学の教師として授業をこなし、午後は携帯のリチャージカードを売って収入を得ています。
海外に出稼ぎにいきたいとのことですが順番待ちらしく
来年の2月までに渡航できなければ個人で語学学校を開いて先生をやりたいという夢もできました。
震災後に契約料が安い教師にしか生徒を回さなくなった学校で働いていて、
一度職を失ったようですが、生徒さんがシヴァ先生を教室に戻さないなら辞めるから授業料返して!!!
とストをおこしたそうで、現在は以前と同じ賃金で先生として働らいている。
shivaくんの村にも義援金とソーラーランタンを届けたいのですがバンダ(スト)が多く難しい。
さらに夜に大雨が降っていて山間部の移動が危険
10月上旬には乾季になるのでダサインという日本でいうとお正月みたいな連休に村に持っていくとのことでした。
今回もシヴァくんは何度もゴルカの村の山に届けるといったのですが、ストも多く余震もあり、大雨のための土砂崩れも発生しているためカトマンズに留まってもらいました。
シヴァくんの出身の村の家は全壊。
地震の時はお休みで子供も村にいっていたらしく、子供は怖くて家の中で動けなくなっていて親戚の人がひっぱりだした直後に家が崩れて危なかったそうです。
村の写真も今回撮影する予定だったのですが、ストと雨でいけなかったのでシバくんにカメラも寄付。
支援がほとんど入っていない村だそうで、現状を伝えないと私も募金を集めにくい。
1ヶ月ほど先になりますが、撮影後にシバくんにデータを送って何が必要かリストをだしてもらうことにしました。
今回寄付したお金は、村では食料をかう費用として無くなりそうです。
理由は村の16世帯が農家。
そして全壊。
倒壊した家の中にあった作物。
村の人は今までこれを売って収入を得ていたのですが、今年は埋まってしまい換金できないのです。
来年は現在育てている作物を売ることができるので収入を得ることができるのですが、
作物が育つまでの生活に困っているとのことでした。
シヴァの出身地はPandrung(グーグルマップでココです)ローカル名はギャンペシャルという名前だそうです。
村の家では政府から震災後に1世帯につき15000ルピー(約150ドル)を支給されたようですが、
その後はないそうです。
支援団体が多く入っている村では生活物資が豊かで、以前より豊かな生活をしていたり、
1家族で10キロという米の支援品も一人づつならんで別々に住んでいると申告し数十キロ持って帰る人もいるという。
自力で動ける人はたくましく働いていますが、ネパール人のなかでも『平等じゃないよな、、、、』という気持ちが心のどこかにあって、世間話をしていると色々な噂をきく。
支援品に頼るしかない人もいるし、ここが難しいところ
村も大変だけど、都会の中で暮らす被災者の今後もかなり深刻、、、
この部分は次のブログで
つづく、、、

 

 

ゴルカの山奥の村でも使えるようにスノーピークのテントを寄付しました。

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